三宅神社二座の座数について
延喜式記載の「座」の意味
古志郡三宅神社は延喜式神名帳に「二座」と記載されている。延喜式で言われる「座」とは神社に鎮座する神の数のことである。
延喜式神名帳に記載された神社(式内社)は全国で2,861社で、そこに鎮座する神の数は3,132座である。(大阪国際大学:式内社データベースの構築と分布の調査)
これを社殿の数と早とちりする手合いが多いので念のために記載したい。
神名帳で神社数より座数の方が多いのは一社に祀られる神の数が複数ある場合があるからである。新潟県内では他に蒲原郡の筆頭社「青海神社」が二座で記載されている。同じ意味では「柱」の言葉もあるが、山や神社に鎮まる神様の数として「座」が用いられるという説をネット上で見受ける。事実とすれば「座」表記があるところは神体山が存在する可能性も高いということになる。
ざっと見ても、天之日矛命との関連が指摘される「穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)」の旧鎮座地は「弓月岳」であるし、式内社飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ/あすかにますじんじゃ)は四座で皇室の御料林であった「飛鳥山」を有する。かなりの確率で神体山との関連があるように思える。神社名に「坐」がつく式内社は関西特に京都奈良に圧倒的に多い。
上記神社名の「坐」は「(い)ます」と訓じられているが、神名帳では「座」は「ざ」と読まれている。「座」と「坐」は格数が違うけれど意味は同じだ。むしろ「座」は「坐」の書き換え字とされている。平安時代の神名帳より先に「○○坐(ます)神社」が成立しているわけだから神名帳「座」表記のルーツと考えられる。
「座」の言葉が山によるという説は「磐座」の「くら」=「穴」=「座」と想起される。おそらく「座」は「柱」に先行する古神道の記憶を持つ言葉ではないか。突き詰めれば「座」の起源は神々が鎮まる窟を発祥とするのではないか。神名帳の「座」と神社名の「坐」を神体山との関連で精査すれば面白い結果が出るような気がする。また延喜式には座数として表記されない単座の神社が圧倒的に多いのは祖霊信仰の父系制が強調されたためと考えられる。天皇家が男系を基本とするのはその証だ。
三宅神社二座の祭神
以上のことから古志郡三宅神社の祭神数は二神(座、柱)であることがわかる。またその祭神名は波多武日子命と天美明命の二神であると社伝に記載されている。大彦命と天之日矛命はそれぞれの祖神として地元で祭祀したのであって実際に来臨した神ではない。もしそうでないなら四座なければおかしいことになる。波多武日子命と天美明命の二神はこの地に祖霊崇拝の習慣を持って来臨した最初の神である。現代の先祖崇拝は日本人の鉄板宗教になっているが、大陸由来の宗教概念であることは明白である。ただし祖霊として信仰されるはずの神社の祭神が、そのまた親の祖霊を崇拝する習慣を持って来臨したという伝承は地方においては極めて異例ではないだろうか。しかも、男女夫婦神それぞれの祖霊を祀るということは、父系制度が強化される以前の古い記憶を持つ祖霊信仰と言えるだろう。
社殿にこだわる現代の崇敬者達には上記の事柄を式内社比定のヒントとさせて頂きたい。