性差(ジェンダー)の日本史展に寄せて
私は行けなかったけれども、国立歴史民俗博物館の企画展『性差の日本史』がコロナ禍であるにも関わらず大盛況で、12/6閉幕したと産経新聞はじめ各マスコミが報道した。お堅い国立歴史民俗博物館の企画展がこれほどまでに反響を呼んだ原因はなんだろうか。
一つは昨今のLGBTや同性婚といった社会的マイノリティーに対する国際的な認識の変化と無縁ではないだろう。こうした意識変化の中で、日本の女性は古代から男性に隷属し虐げられてきた存在だと言う固定観念を持つ現代人に、今回の企画の内容が驚きとして捉えられたようだ。
マスコミでは以下のように報道されている。
●古代において女性首長は決して珍しくなかった
●平安時代は武家では夫の死後に女性が家長として政治的に大きな力を持っていた
●鎌倉時代には、庶民でも女性は財産権を持ち、相続した土地を売却する権限も持って いた
「展示を見ていると、古代から公の場で女性が男性同様に存在感を持ち続けてきたことに気づかされる。改めて「男性が外で働き、女性が家を守る」というような家族像は、明治時代以降に確立した近代的な価値観であることを認識する。」
(以上日本経済新聞夕刊2020年12月1日付)
日本では古代から女性が一定の地位を持っていて、強い社会的影響を与えていたことは多く民俗学者が指摘するところだ。このブログでも馬鹿のひとつ覚えのように「母系社会」と書かせてもらっているのは、現代の父系的社会規範の価値観では理解できない文化体系が古代にはあったと考えるからだ。稲作至上史観と父系社会の価値観は古代の歴史を見誤らせる二大フィルターだと思う。
それと大反響を呼んだもう一つの要素に国立の博物館が「売買春」に真正面から切り込んだことが挙げられる。
「圧巻は売買春に焦点を絞りこんだ研究だろう。ジェンダーに関わる政治や労働の展示とは別に、「性の売買と社会」と題したテーマ展示として歴史を通観した。博物館の展示としては、これまで例がないのではないか。」
「日本で職業としての売春が生まれたのは9世紀後半。「遊女」と呼ばれるようになっていくこの女性たちが“解放”されるのは、1872(明治5)年の「芸娼妓解放令」によってである。
「近世的な売買春制度は解体されたけれど、この後の遊女たちは『自ら売春するみだらな女』とみなされるようになり、社会からの蔑視のまなざしを生みだした。遊女たちの立場はよりつらいものになった可能性があります」」
(以上:株式会社全国新聞ネット)
展示では主に近世遊郭の物が主体だったようだが、女性が過酷な性搾取に苦しむ構造が1930年代まで続き日本は買春大国だったとされる。また、「職業としての売春が生まれたのは9世紀後半」とされるが、それ以前の古代の日本社会では父系的な「一夫一婦制」ではなく、母系的な多夫制が主流だったわけだから「売買春」の概念自体がなかったと思われる。そう言うと多くの人は私たち日本人の先祖はなんて不道徳で不埒だったのだろうと悲嘆されるかもしれないがそうではないだろう。
自分の子孫を自他と区別する血統を重んじるのは「父系社会」の価値観で、「母系社会」では誰が父親かは分からないので問題とされず子供は均等に養育される。「父系社会」では血統の違いによるホロコーストが起きるが、「母系社会」では血統の違いによる戦争は起きない。そして「母系社会」は日本の専売特許ではなくて、世界のいたるところで行われてきた古のシステムであることは多くの伝承が伝えるところである。
ギリシャ神殿の巫女はいうに及ばす、旧約聖書のシバの女王とソロモンの関係、英雄伝のクレオパトラとカエサルの関係、新約聖書のマグダラのマリアとイエスの関係等、国や宗教を背景にした大きな話のその背景には「母系社会」の多夫制の伝統があると思う。これらの女性の活躍によって神聖が保たれ戦争や女性差別が避けられたのは容易に想像できる。
現代の性に対する倫理感は父系社会の産物であり永久不変の真理ではない。現代からは不道徳の極みとされる「母系社会」の多夫制は血統による争いや戦争、ホロコーストを避ける一つの知恵であったのではないか。アメリカの60年代東洋文化に影響されラブ&ピースを叫んだヒッピー文化はフリーセックスを含むが、ベトナム戦争に対する精神的反動だろう。日本でも弥生時代と平安時代に磐座の復古運動が起こるが、いずれの時代も倭国の大乱や武士の台頭があり世の中が乱れたときの反動と思える。
おそらく男性は戦争や争いの殺人のストレスには耐えられないところがあるのだろう。