古志郡 三宅神社 伝承と祭神の研究

三宅神社に古くから伝わる伝承と多くの謎を通して地域史を考えます。

奴奈川姫の産所 磐座と女性原理

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奴奈川姫の産所 全景

奴奈川姫の産所

 今秋2度目のトライでようやく能生町にある「 奴奈川姫の産所」という旧跡を訪れることが出来た。場所がわかりにくく前回春に訪れた時はかなり手前の道で曲がってしまい挫折していた。

 今回は現地の人に聞きながら訪れたという先達のAnnaさんの助言に従い、付近の集落で花壇の手入れをしていた若い女性に聞いてみた。本人曰く生まれも育ちも地元だがそんな所は聞いたこともなく全く知らないという。小学校の総合学習でいかにもやっていそうに思えたが、やはり若い女性にジジィの話題は通じないらしい。そこを通り過ぎて軽トラ脇で作業をしていたお爺さんに聞いたみたら今度は丁寧に教えて貰うことができた。

 行政では安産・子宝の名所としてPRしているようだが、誘導看板が少なくて残念だ。民俗学的にも造形的にも貴重なこの場所を「奴奈川姫物語」として伝説伝承地をリンクすれば絶好の観光スポットになると思う。

 今年の県内は熊の出没が多く、おまけに現場は人家から離れた山中にありかなりヒヤヒヤしながら歩いたが、無事念願の場所に辿り着いた時はとても裏しかった。谷筋から少し上がった尾根に中程にあるその場所は、他に人影もなく静かだったが遊歩道の手入れもされていて歩きやすかった。付近の山は岩肌が所々に露出する岩山で「産所」上に続く山肌にも木々のこづえを通して岩石が露出しているのが見える。一見して感じるのは明るく乾燥した「陽性」の気だ。周囲の木が切り払われていて見通しが良いのもあるだろうが、植生や土質による影響も大きいように思う。

 「奴奈川姫の産所」とは中能生郷土史能生町史に『島道に岩井口という所あり、水がこんこんと流れ出て、人々はここを"ぬながわ姫の産所"と言っている。』と記載されている頸城に集中する奴奈川姫伝説の伝承地の一つだ。長年の時間経過で正確な所在が忘れ去られていたが近年の調査でようやく再発見されたようだ。だがここが本当に重要な点は、「産所」伝説だけでなくあまり触れられていないが、陽物と陰石を持つ典型的な磐座の要素が揃った貴重な場所であるということだ。

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          奴奈川姫の産所 上部にある男性原理の陽物

 

磐座とただの巨岩との違い

「 奴奈川姫の産所」は私が考える典型的な磐座だが、磐座の定義についてもう一度考えて見たい。

 web上で公開されている論文「神道考古学における依代の問題」の中で立正大学史学科教授の時枝努氏は、磐座について「そこに神を招いて祀り、目にみえない神の存在を顕在化する施設である依代として理解されてきた。」とし、そして「依代」の概念自体が民俗学会の重鎮である柳田氏と折口氏では違うことを指摘している。

「折口にとっては目印、柳田にとっては憑依する物自体を意味した」

柳田氏の依代の概念を無批判に受け継いだ大場磐雄氏の磐座解釈では「依代でもある磐座は、自然状態で存在したものなのか、それとも人為的に設置されたものなのか。自然状態で、複数の磐が露出している場合、なにをもってそこが磐座であると識別できたのか、など不明な点が多く残る。」とし「「通常、考古学者が問題とするようなモノに即した議論が、ここではなされていない」と批判している。

 「依代」の概念が目印か物自体かの学術論争はさておいて、磐座の定義について柳田民俗学も大場祭祀考古学も何も答えていないのは事実である。イワクラが「神霊の憑ります座」(大場)や「依代」(折口)といった抽象概念では普通の巨石と磐座の違いを明確に説明できないということだ。

イワクラの「クラ」は穴を表す

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             奴奈川姫の産所 下部にある女性原理の窟

 一般人が一番知りたい普通の巨石と磐座の違いを従来の学問が明確な答えを出せずにいる状況に切り込んだのは在野の民俗学者吉野裕子氏だ。

 「ミテグラ考」の中で吉野裕子氏はイワクラの「クラ」は暗部を表し凹みを意味すると主張し、御幣を奉納する際に出来る両掌のくぼみがこそが陰を象徴し、神が降臨する場所であると結論づけている。吉野氏がアカデミズムと無関係な在野の研究者で、しかも美貌の持ち主で女性ということから色眼鏡で見られがちだが、その主張はダイナミックかつ的確で見るべきものが多いと思う。確かに吉野氏の主張にはクラの語源を台湾語に求めるなど唐突感が否めないものもあるが、だからと言って全てを否定するのは馬鹿げた話だ。

 折口氏が依代の原型が日輪マークであると主張するのに比べれば、イワクラの「クラ」が穴を表すという主張は、大和言葉の「クラ」の語源から考えても妥当であり何の違和感も感じない。そして何よりも日本の磐座の代表である「花の窟」が何で磐座と呼ばれるのか明確な回答を与えてくれるのである。

磐座と窟と女性原理

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                                    榛名神社御神体「御姿岩」の絵図(参道看板)

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        榛名神社の御神符 御姿岩に岩窟が描かれている

 

 大場氏も研究した榛名神社の磐座である御姿岩には窟があり、本社がその窟に食い込んでいる。御姿岩が男性原理を、窟が女性原理を表しているのは言うまでもない。長野県の戸隠神社奥社も同様に社殿が巨岩の窪みに食い込んで作られている。日本の磐座の代表格「花の窟」と同様に窟が磐座と同一視されるケースは全国にごまんとある。新潟県内でもここ「 奴奈川姫の産所」の他に、「妻戸神社(口開け石)」「八木神社(八木鼻)」「三宅神社(鎮め窟)」「石井神社(石穴)」旧古志郡の「チンカラリンの穴」等々数多くあり、八木神社擁する八木鼻に至っては、巨大な岩壁下の岩屋の遺跡から縄文前期・弥生・平安の遺物を出土している。

 

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本社が御姿岩の中にある 榛名神社

 柳田國男氏は言う。「つまりは『籠る』ということが祭りの本体だったのである。すなわち本来は酒食をもって神をおもてなし申す間、一同が御前に待坐することがマツリであった」(日本の祭り「物忌みと精進」)。この「籠る」という行為は以前にも書いたが、記紀に登場する天岩戸隠れのことであり、籠る場所は窟がある磐座である。これは一連の儀式を伴う大陸渡来の「祭祀」とは全く別物である。祭祀は先祖を祀る大陸渡来の手順を伴う「儀式」であり、日本の祭りは先祖崇拝とは関係がない「籠る」ことを主体にした手順を伴わないただ待つだけの「行為」である。磐座祭祀に古墳期の遺物しか出ないのは当たり前で、日本古来の祭りは不文律で遺物を伴わないことは容易に想像がつく。

 イワクラの「イワ」が高くそびえる岩石を表し男性原理を表すことに対して「クラ」は穴を表し女性原理を表す。神は高くそびえる男性原理を目標に降臨し、女性原理である穴に籠る巫女に憑依する。穴は新石器時代以降から地母神の象徴でありあたしい生命を生む子宮である。磐座の定義とは男性機能と女性機能を併せ持った岩石とすることができ、一連の機能を有する装置とも考えることができる。

 多くの民俗学者縄文時代の母系制の痕跡を指摘している。最近もNHK BSで「土偶を愛した弥生人」が放映され、出産を表す土偶弥生人も崇拝していたと考えられるようになった。これは母系制の典型で縄文時代の精神文化が弥生にも引き継がれた証拠である。古神道の象徴である磐座も同様だと思う。