古志郡 三宅神社 伝承と祭神の研究

三宅神社に古くから伝わる伝承と多くの謎を通して地域史を考えます。

チンカラリンとトンカラリン(磐座信仰との関連性について)2

弘法大師の石と「穴」

 地元に江戸時代の絵図に記録が残る「大石」という巨石がある。この大石には全国各地にある弘法伝説が伝承されている。

伝承内容はこちら↓

旧HP「神名倉山周辺の岩石信仰」

 f:id:koshi-miyake:20151021163050j:plain 

f:id:koshi-miyake:20151021163802j:plain 六日市町 「大石」全景

f:id:koshi-miyake:20151021163526j:plain 表面の杖・足跡と言われる「穴」

f:id:koshi-miyake:20151021163823j:plain 線刻部分

 

 表面上部には弘法大師の杖の跡と足跡と伝承される丸い穴(3〜4cm)と浅い凹みが確認できる。また、明らかに線刻が認められる。長岡市内では他に栖吉地区に明治中期の「温古の栞」に記載があるという、弘法の足跡を伝える巨石が存在する。

 弘法大師の石に付随する伝説は全国的に分布するものでさほど珍しいものではない。新潟県浄土真宗曹洞宗が一般に普及するまでは、真言宗の王国だったというほど真言系の寺院が多かったから尚更である。

 当地でも真言系の寺院の伝承が存在するが、その布教目的で当地の巨石信仰に弘法大師の信仰が付加されて行ったものと考えられる。弘法大師の伝承が水銀鉱脈や丹生に関係が深いとされるのだから、布教にあたって各地にあった巨石信仰に注目して取り込むのは理にかなった手法だろう。

 当地にある「大石」は中世文書の地割りにも登場するので、古代から中世にかけて信仰の対象として存在していたと思われる。真言寺院ができる以前から、巨石の「穴」に対する信仰があったから、それを上書きして弘法大師の事跡に転化する必要があったのだと思われる。

磐座と「盃状穴」 

 盃状穴とは神社の灯篭や手水石等に彫られることの多い「蟻地獄」状の3〜4cmの「穴」である。元々は磐座に彫られていたものが古墳時代の石棺や道祖神に彫られて発展したようである。この盃状穴は「穴のあき石」や「石投げの穴」と同様に再生や不死・子宝の呪法と考えられている。

 六日市地域にある「大石」の弘法の杖の跡も恐らく、この盃状穴と関係があると思われる。また、盃状穴のある磐座には往々にして「線刻」が認められるのも同じである。

 磐座と「穴」の関係について民俗学ではあまり触れられていないようである。その中でやはり吉野裕子氏のミテグラ研究と女陰呪術の研究が唯一回答を与えてくれる。すなわち、「イワクラ」の「クラ」はV字型及び凹みを現すというのは、卓見ではないだろうか。日本の古代祭祀に置いて「穴」の重要性を強調した例を他に知らない。

 

チンカラリンと磐座信仰

 私は当初からチンカラリン等の「穴」の信仰を調べようとしたわけではない。三宅神社のご祭神の一人である「アメノヒボコ命」に関連する岩石祭祀を調べるうちに、当地の巨石信仰の存在するところには必ず「チンカラリンの穴」と類似な伝承が存在することが解った。当地では巨石信仰と「チンカラリンの穴」はセットなのである。そして「トンカラリン」との類似も巨大遺構に目を奪われがちであるが、その元始は本質的には同一ではないかという推論が十分成り立つことを確信した。歴史学者井上辰雄氏が導き出した説が最終的に「トンカラリン」の謎に終止符を打つ決め手である。

 それでは、隧穴とセットの磐座信仰は高句麗の隧穴信仰が起源なのだろうか。今ではその可能性は低いと考える。

 疲れたので一休みします...。