古志郡 三宅神社 伝承と祭神の研究

三宅神社に古くから伝わる伝承と多くの謎を通して地域史を考えます。

チンカラリンとトンカラリン(磐座信仰との関連性について)

 前回から引き続いて チンカラリンとトンカラリンの類似性と起源について考察したい。

 

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チンカラリン穴のある長岡市蓬平の風景。中越地震の山古志と同じ地域にあり右手がチンカラ山

新潟チンカラリンと熊本トンカラリンの文献記録

 新潟県長岡市の東山周辺の「チンカラリン」と呼ばれる複数の隧穴伝説は以前から文献に記録されている。

 旧栃尾市の建石では「からめき穴」(カラカラと鳴る穴)として江戸時代に文献に登場する。その他長岡市蓬平・長岡市栖吉では明治中期の地域風土雑誌「温古の栞」で紹介されている。(伝承内容については前回参照)

 小千谷市女滝の伝承は文献に登場するのは最近だが、巨岩に伴う他の伝説を考えれば相当昔から存在するのは明らかである。「女滝」と「鬼の穴」は近郷の伝説の名地で年配の方は誰も知らない人はいない場所とされている。(伝承内容はこちら

 現在チンカラリンと名前が確認できるは長岡市蓬平、それと小千谷市女滝※1であるが、他のどちらも伝説の内容はほとんど同じなので同一の信仰あるいは祭祀に起源を持つ伝承では無いかと推測できる。※2

 一方、隧穴遺跡の本家トンカラリンでは全ての伝承や記録が失われたとされている。昭和になってから巨大な隧穴遺跡が確認され有名になったようである。ただ元々はトンカラリンは全体をさす言葉ではなく、その中の一つの自然洞窟に石を落とした時の音に由来しているとされている。

 トンカラリンは構造や大きさの違った五つのトンネルが連なって遺跡を形成しているとされるが、思うに、トンカラリンという一つの自然洞窟に起因した信仰が後の時代に次第に拡張され、現在の規模の遺跡となったのではないかと推測する。構造や大きさが違うということは一つの時代で形成された遺跡ではないということだろう。また、その中核施設が「トンカラリン」というわけの分からない名称で呼ばれてきたのも謎を深めてきた理由だろう。「トンカラリン」の響きと多世代に渡る遺構の拡張が解明を困難にしている理由では無いか。

 文献記録に関してだけ言えば、新潟県の「チンカラリン」伝説の方が古いし数も多い。一地域にこれだけ類似の伝承が存在するのだから、全国を精査すれば同様の伝承はまだまだ存在するものと思われる。

 

呪術として穴に石を投げ入れる行為

 前回、穴に石を投げ入れる行為は呪術だと書いたが、それの類例は現在でも多く見ることが出来る。代表的なのは鳥居に石を投げ入れて落とさないようにする行為だが、地元でも庚申塔の丸穴に石を投げ入れる行為が存在する。日光東照宮の裏手の滝尾神社にある運試しの鳥居には専用の丸い穴が開いている。

f:id:koshi-miyake:20151019180112j:plain 滝尾神社運試しの鳥居

f:id:koshi-miyake:20151019181310j:plain 霊石亀石

岩手県猊鼻渓には「願懸けの穴」、宮崎県鵜戸神宮の霊石亀石ではともに運玉投げが存在する。

 これらは、穴に石を投げ入れる行為が運試しの呪術行為として行われてきたことを物語っている。そしてそれらの行為の多くが子宝の成就に関連していることは、その起源の本質を雄弁に物語っている。

 

呪物としての穴のある供物

 新潟県内や他に地域でもそうだが、道祖神に穴のあいた石を奉納する習慣が存在する。その派生型としてお椀に穴をあけて奉納する習慣も存在する。

f:id:koshi-miyake:20151019182351j:plain穴あき石

新潟県石仏の会 会報NO.86より 長岡市下来伝のほだれ様(諏訪神社

また当地にある目の神様の伝承では、願い事があるとお椀に箸を突き通した物を奉納したとの伝承がある。これらはすべて女性原理の生産性に対する信仰の表れと考えられる。特に上記の下来伝の諏訪神社の奉納品が端的に現している。

 またこれらの信仰には明らかに世界性が備わっている。イギリスにあるコーンウォール地域の巨石信仰は日本と同系統と考えられる。

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 メン・アン・トール 穴開き石

つづく