2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧
762年(天平宝字6年) 造石山寺所関係文書 3月13日 越後国仕丁丈部得足・三宅人領、造石山院所から逃走する (柏崎市史資料集 古代中世篇) 784年(延暦3年)続日本紀 蒲原郡の人三宅連笠雄麻呂、稲10万束を貯えて飢者に食を与え、道橋を修造したことにより、…
三宅神社二座 当社旧記古證 附記一、大彦命妙見村鎮守 三宅神社宇都之宮大明神 社守 三明梶元 和今稗生村仁落山伏止奈利観請院止号 惣鎮守仁宇都之宮於観請須一、天日鉾命中片村鎮守三宅神社宇都之宮大明神 社守 的場崎 平岡乃治部 和今村仁居百姓止成居須 …
『小丹生神社』 新潟県見附市熱田町字宮ノ浦541 御祭神 波多武日子命 天美明命 須佐之男命 越後國古志郡 小丹生神社 式内論社 下記に掲載した社伝によれば、三宅神社の伝承と同じく波多武日子命 天美明命 の二神が越の川東、金倉山に鎮祭したとの記述があ…
六日市町 三宅神社二座 新潟県長岡市六日市町1775御祭神 波多武日子命・天美明命 現在の六日市三宅神社二座の社殿は明治二年に築営したもの。明治二年の「三宅神祠ノ記」によれば、その前の社殿は1712年(正徳二年)に現地で築営されたものらしい。現在…
8/23日 みつけ伝承館で開催中の耳取遺跡展第5弾を再訪しました。 国史跡答申の理由 1.縄文中期〜後期〜晩期に渡る国内有数の大遺跡 (3遺跡の集落が一つの遺跡に存在するのは北陸において希有、全国的にも貴重) 2.縄文後期の集落は北陸最大 3.中期遺跡出土…
2015/8 新潟日報 地域版 「日本書紀」では「八岐大蛇」、「古事記」では「八俣遠呂智」と書かれる。特に「古事記」では「高志之八俣遠呂知」と書かれて、地域名の「高志」が強調されている。 その「古志」地域の中心にある式内社「小丹生神社」の鎮座する地…
三宅神社に伝わる社伝に「元素人皇八代孝元帝の皇子大彦命の男宮波多武日子命越の国を賜り玉ふ。時に新羅王子天日桙命を倶い中津国に至り天皇に仕へ奉る。この時越の川東を賜り波多武日子命、天美明命を婚り合せ此の国に至り賜ふ。」の一文がある。 この伝承…
◯波多武日子命・天美明命 ◯天日桙命 ◯大彦命 六日市町 三宅神社:波多武日子命・天美明命の二座 中潟町 三宅神社:天日桙命 妙見町 三宅神社:大彦命 三宅神社の祭神が記載された最古の記録は、 「神祇宝典」1646年(正保3年)の ◯古志郡 三宅神社二座 三宅…
延喜式内 三宅神社二座 当社旧記古證 並 御廟山大絵図 寫 寛文5年(1665年) (不明部分有るため概要) 越の宗廟三宅神社の由来は、元素人皇八代孝元帝の皇子大彦命の男宮波多武日子命越の国を賜り玉ふ。時に新羅王子天日桙命を倶い中津国に至り天皇に仕へ奉…
こらから少しずつ充実させる予定です。 今後ともどうぞよろしくお願いします。 千年の昔、延喜式神名帳に記載された古志郡筆頭社「三宅神社二座」 神の隠れ住まう杜「神名倉」の麓に営々と続く多くの謎と伝承が残された当地域の歴史と文化を紹介します。