古志郡 三宅神社 伝承と祭神の研究

三宅神社に古くから伝わる伝承と多くの謎を通して地域史を考えます。

穴籠りの呪術と磐座_1

 新潟は今積雪シーズンの真っ最中。昨年訪れた遺跡や伝承地は特に豪雪地帯として有名な中越地域の山間部なので小雪と言われる今年でも1〜2m雪が軽く積もっている事だろう。

f:id:koshi-miyake:20160204095916j:plain 小千谷市ほんやら洞祭り

 さて、昨年は地元の巨石祭祀と窟・隧穴信仰の伝承地をいくつか踏査し、巨石祭祀と窟・隧穴信仰がセットとして存在するケースの多さに驚いた。現在「磐座」信仰の中心施設とされるのは柳田国男氏の説から、神の依り代とされる岩石に限定される場合が多いが、本来の「いわくら」は吉野裕子氏や井上辰夫氏がいうように「岩石」と「窟・隧穴」がセットとして信仰されてきたとする説の信憑性を実感することが出来た。

  それではなぜ、神道の祭祀とは一見無関係に思える片田舎の山間地に、しかも神道の古い形とされる磐座信仰のそのまた原始形態と思われる「巨石と穴」の組み合わせの伝承が残されているのだろうか。

 可能性として考えられる事は、天孫降臨以後国譲りをへて中央集権的な祖霊崇拝を中心とする天皇家を頂点とする神社祭祀が始まる以前に、「いわくら」がすでに国津神と言われる在地の勢力の信仰の対象として広く存在して機能していたのではないかということだ。

 神道の祭祀としてただ古いだけでなくて、天皇家を頂点とする祖霊崇拝の神道とは別系統の信仰として存在していたということである。これならば、古い形の神道祭祀が日本各地に散在していても少しもおかしくない。もちろん、「いわくら」はその後記紀等の記載に登場するように天皇家を中心とした神道の中に吸収されて行く。

 雪が深く私の得意なフィールドワークは当分無理なので、今までの考えをこの機会に少しまとめたい。

 

記紀にみる「岩窟」「磐座」

 古事記日本書紀に書かれた「岩窟」「磐座」が古い時代の記憶であると考えられるのはその記載が神代に限られることや、「岩窟」に類する「室」(ムロ)が後述のように、古事記中の「大国主命」の段に登場することが挙げられる。「大国主命」は国津神の主宰者である。

  まず、「岩窟」のほうから考えてみたい。古事記日本書紀に登場する「岩窟」関連の項目は以下の通りである。

天石屋・天石屋戸古事記3カ所)

天石窟・天石窟戸日本書紀神代上5カ所、神代下1カ所)

いずれも有名な天照大神の天岩戸隠れの段に登場するものと、天孫降臨の際、天照大神が誰が適任かの問に、思金神及諸神が「天安河の河上の天石屋(あめのいはや)にいる伊都之尾羽張神(天尾羽張神)がよいと答えたという段に登場する。

 また「室」(ムロ)は古事記のみに記載される大国主根の国にいる速須佐之男命の娘である「須勢理毘売命」にたいする求婚難題譚として登場する。この件は物語としても大変良くできている。恐ろしい蛇やムカデが充満する穴倉、それを撃退する魔法の領巾(ひれ)、大国主須勢理毘売命ラブロマンス。今風に言えば冒険とサスペンス、ファンタジーが満載である。以下の古事記で記載される室(ムロ)の内容である。

蛇室・入吳公與蜂室

大国主命は蛇・ムカデ・蜂のいる室に入れられるが、須勢理毘売命が差し出した領巾(ひれ)を三度振って打ち払って難を逃れる。

八田間大室 

最後に須佐之男命がいる室に連れてこられて頭の虱(しらみ)を取らせた。頭を見ると、百足(むかで)がたくさんいたが、須勢理毘売命の手配で難を逃れる。

 「室」は現代では「部屋」の意味で使われているが、古代の 「室」(ムロ)の意味は 1.「山腹などに掘って作った岩屋」意味であり、2.「土を掘り下げ、柱を立て屋根をつけた家」や3.「周囲を壁で塗り込めた部屋」の意味として使われた。(大辞泉

古事記ではわざわざ根の国のことと前置きしてあるので、地下を意味する「根の国」との二重の意味で「室」が「穴」あるいは「半地下」を意味して使われたものと考えられる。

 

穴籠りの呪術としての「御室神事」

 前述の2の「土を掘り下げ、柱を立て屋根をつけた家」の意味では竪穴式住居そのものであるが、この形式の「蛇室」に対する信仰が中世まで存在した。それが諏訪神社下社の「御室神事」である。

 吉野裕子氏の「陰陽五行と諏訪神社祭」のよれば、諏訪神社前宮、大祝居館の敷地内に大穴を掘り竪穴式住居そっくりな茅葺きの大室を作り、そこに藁性の蛇のご神体(ミシャグジ神=石神)とともに祝や神長官以下の神官が籠り、旧暦12月22日から翌年3月中旬寅日に御室が撤去されるまで祭祀が行われたという。その後中世に途絶したという。御室社

 諏訪神社のご祭神は言うまでもなく、大国主命の御子「建御名方神」(タケミナカタ)であるが、建御名方神が諏訪に落ち着く以前に「ミシャグジ神=石神」を統率する土着神「守矢神」がいて、建御名方神出雲族と争ったが負けて、以来大祝に仕える神官長として現代まで守矢姓として続いているという。

 ここで重要なことは、「籠る」という行為が「神事」と直結していることである。「守矢姓」も「室屋」の転化ではないだろうか。「御室神事」について吉野裕子氏は「一年の終わりと始めに当って土室が重大な祭祀の場となる事実は、土室の神聖性を証すものであり、その室の神聖性はご神体の蛇がここに籠っておられる事に由来する」と述べている。

 大国主命に付随する「蛇室」「ムカデ・蜂室」説話は、求婚難題譚としての側面は確かにあるだろうが、国津神と言われる在来勢力が地下の「穴」に対する風習を実際に持ち持ち、そこに籠る事に依ってある種の呪実を実行した事の記憶ではないか。これは「風土記」に頻繁に登場する「土蜘蛛」と呼ばれる先住民の風習描写にも通じている。国津神系の先住民が「穴」を生活の一部とし、その中で日常的にシンプルな信仰や呪術が行われてきたのはほぼ事実ではないだろうか。

 以前書いた地元にある酒呑童子が籠った「断崖穴」や茨木童子「鬼の穴」も栃尾観光協会の説明にあるように、窟籠りすることによって霊と交わり、霊力を身につける修行として実行された記憶であると考える。酒呑童子が16ヶ月、茨木童子が14ヶ月胎内に留まり生まれたという説話も同様に解釈出来ると思う。

穴籠りの呪術としての「天岩戸隠れ」

 また最大の穴籠りの呪術は天照大神の「天岩戸隠れ」であることは間違いない。古事記では

(原文)

「故於是天照大御神見畏 閇天石屋戸而 刺許母理 此三字以音 坐也」

(訳)

「ここに至って、これを見た天照大御神は恐れて、天石屋戸(あめのいはやと)を開けて、籠もってしまわれた。」

と「こもり」の言葉を使って書いている。「天岩戸隠れ」はただ単に女神が気分を概して引きこもった話ではない。それ以前に「スサノウ」を追い払おうと軍事で対立し、命がけの「誓約(うけい)の神事を実行し負け、最後に残された秘策として実行されたものである。「天岩戸隠れ」ことによって外界を変えるという至高の呪術として実行された物である。これによって軍事力では実現出来なかった「スサノウ」の放逐を実現出来たのだからこの効果は十分あったと考えられる。

 天照大神の目的は一貫して「スサノウ」の天上界からの放逐である事は前後を読めばすぐ理解出来る。また、外の賑やかさに釣られて顔をのぞかせる天照大神は永久に閉じこもってしまうのではなく、また外に出る事を前提として考えていたと思われるふしがある。その点は井野裕子氏が「女陰考」の中で「入れて出す呪術」として、天岩戸が隠れの背景にあるものは「一度び隠れた入ったものを再び出すこと」の絶対緊急必要性として書いている。

 また「天岩戸隠れ」の際、信奉されるご神体は天照大神が自分の姿に驚いたという「銅鏡」だと考える。国津神系が穴籠りの際に持ち込むご神体は「蛇」で天津神系が穴籠りの際に必要なご神体が「銅鏡」であったのではないだろうか。同じ穴籠りでもご神体の差異は当然考えられる。

  有名「天岩戸隠れ」は天孫といわれる皇室の神話が国津神の「穴籠り」の呪術を吸収して行ったことが伺える重要な説話と考える。

 

穴籠りの呪術としての「かまくら

 最後に記紀からは離れるが現代でも行われている穴籠りの呪術として「かまくら」の行事を挙げたい。現代では呪術というよりも観光行事になっているがその起源は古く、秋田県横手市で450年、六郷町に至っては700年と言われている。(Wikipedia

 新潟県中越地域でも「ほんやら洞」という名称で観光行事として小千谷市・六日町で行われている。小正月に行われる伝統行事で、古くは、雪で「かまくら」をつくり、水神様を祀って、鳥追いの歌を歌うなど豊作祈願の伝統行事だった。「鳥追い」の歌のなかにも「ほんやら」というかけ声がありこれが語源とされる。小千谷市は「チンカラリン伝説」の地元でもある。

f:id:koshi-miyake:20160204095610j:plain 小千谷市ほんやら洞祭り

 かまくらの語源は、形が竃(かまど)に似ているから「竃蔵」であるとする説や、神の御座所「神座(かみくら)」が転じたものであるとする説などがある(Wikipedia)というが、吉野裕子氏の説く「くら」=「穴」説でその起源の意味が明確にわかる。吉野裕子氏の「陰陽五行と古代日本」第一節:日本の古代信仰 三:「穴の重視」の中でカマクラについて「この語義は不明とされているが 、おそらく「神クラ」が転じてカマクラとなったものか、または「洞クラ」の意であろう。カマは堀くぼめた凹所をさす語で穴を意味する。いずれにしてもカマクラは神の穴を意味すると思われる。」と述べている。

 かまくらは雪深い東北・北陸がおもな伝承地であるが、雪の少ない兵庫県でも行われているという。各所に共通するのは古くはご神体として「水神」を持ち込み、左義長に関連する鳥追いの歌を歌うなど、ただ単に子どもの遊びとして続けられてきたものではない。これもまた「籠る」行為によって願望の成就という単純な呪術の派生であることは明らかだ。

 カマクラの穴が女性原理を現し、そこに出入りすることは生死の疑似体験であることは言うまでもない。天をつく高木や大岩に神を降ろし、そのすぐ近辺に胎内である「穴」を造り、そこに出入りすることに依って心霊を人間に身籠らせる。これが男性原理の凸所と女性原理の凹所を併せ持つ古代「磐座」の基本システムであろう。

 

次回は「磐座」についてもう少し詳しく考えたい。